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まちかんの紹介

飯田市の紹介

私達のまち飯田市

まちかん

私達のまち飯田市は、長野県の南部、中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷に位置し、 天竜川がおりなす河岸段丘を中心に広がっています。
飯田市は古くから三河と信州とを結ぶ三州街道の宿場町として栄え、戦国時代には 飯田城が築かれ城下町として発展しました。
江戸時代の初期には城下町の整備が進められ、京都の町並みにならい碁盤の目のように道を作り、 その美しい町並みを評して「信州の小京都」と呼ばれました。
生糸、和紙、水引、漆器、傘などの地場産業も栄え、江戸末期には信州を代表する産業、商業都市となりました。

飯田市

大正12年には、JR飯田線飯田駅が中心市街地の北に開設しました。
私達のまち飯田市は、現在も飯田下伊那広域圏(1市3町11村)の中心都市としての役割を担っています。

飯田市の中心市街地は、野底川と松川という二つの河川によりつくられた河岸崖に囲まれた台地の上にあります。
その形から地元では中心市街地を「丘の上」と呼び、地形的にも他の地区と一線を画した存在となっています。

飯田市
りんご並木

昭和22年、「信州の小京都」と呼ばれた町並みの8割を消失するという大火にみまわれました。
その後の復興の中で新たに設けられた30m幅の防火道路には、中心市街地の子供たちが通う 飯田東中学校の生徒の提案により、昭和28年から"リンゴの植樹"が始まりました。
現在でも、中学生の熱心な手入れは続けられていて、 『りんご並木』(飯田りんご並木)として飯田市のシンボルとなっています。

りんご並木
人形劇のまち
人形劇

飯田市には、人形浄瑠璃を奉納上演する古くからの歴史があります。

伝統芸能としての人形浄瑠璃から、市民と人形劇人がつくる人形劇の祭典として、 昭和54年より『人形劇フェスタ』が毎年開催されるようになりました。

『人形劇フェスタ』(人形劇のまち飯田)は、 市民スタッフが実行委員会を結成し、2000人ものスタッフがお祭りを支えています。

毎年『人形劇フェスタ』が開催される8月には、全国から多くの人形劇団や観光客が集まります。
飯田市は「人形劇のまち」としても知られています。
>>いいだ人形劇フェスタ公式ホームページ

人形劇

飯田市のポイント

  • 三州街道の宿場町として栄える
  • 戦国時代に飯田城が築城される
  • 江戸時代初期に京都にならって碁盤の目のような町並みに整備される
  • 大正12年JR飯田線飯田駅が中心市街地の北に開設
  • 昭和22年の大火により、「信州の小京都」とまで呼ばれた町並みの8割を消失する
  • その後の復興の中で、「りんご並木」ができる
  • 現在、飯田下伊那広域圏(1市3町11村)の中心都市
  • 昭和54年以降、「人形劇フェスタ」が市民の手により開催されている

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